ゴーストインザヘッド

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舞城王太郎『煙か土か食い物』に見る家族像について

舞城王太郎『煙か土か食い物』に見る家族像について

今回は私の大好きな作家の一人、舞城王太郎について、デビュー作である『煙か土か食い物』をネタバレ有りで考察していきたいと思います!
 

 

煙か土か食い物

本作は講談社から2001年に刊行された、第19回メフィスト賞受賞作です。

 
 
探偵役を主人公の青年・奈津川四郎に据えたミステリ作品でありながら、四郎が生まれた奈津川家の家庭の物語、いわば、奈津川サーガとしての側面も持つ作品です。
 
 
物語は、主人公である四郎の母親が連続主婦殴打生き埋め事件に巻き込まれたことで始まります。

奈津川家は、四兄弟の父であり政治家の丸雄、事件に巻き込まれた兄弟の母陽子、丸雄同様政治家の一郎、失踪した二郎、小説家の三郎、主人公(語り手)であり医者の四郎で構成されています。
 
 
今回は、一家の父・丸雄と、十七歳のときに失踪した二郎に注目し、考察をしていきたいと思います。

※文中の引用は講談社文庫 舞城王太郎『煙か土か食い物』(初版)によります
 
 

「罰」を求める二郎

 
奈津川家の敷地内には、兄弟の祖父であり丸雄の父大丸が首を吊って死んだ、三角錐の形をしたがあります。

倉は、一家から恐怖の象徴として恐れられていました。
 
 
幼い頃から悪ガキだった二郎は、ことあるごとに丸雄によって倉へ放り込まれました。

丸雄ですら恐怖を覚える場所にまだ子供である二郎が耐えられるはずもなく、閉じ込められ、気が狂いかけたこともありました。

しかし負けん気の強かった二郎は倉を「別荘」とうそぶき、悪戯をやめることなくその都度倉へと放り込まれていました。
 
その理由を語り手の四郎は「罰を求めていた」ためだと述べています。
 

二郎は罰を求めていた。それは誰の目にも明らかだった。二郎は別荘にこもることによって自分の精神を鍛えているんだとよく言った。俺は二郎が丸雄に対抗しているんだと思った。二郎は意地っ張りで自分が別荘など本当は気にしていないんだというポーズを作るためにいろんな悪さをくりかえしているんだと俺は思った。

 
「二郎は罰を求めて」おり、また父である「丸雄に対抗して」いたのではないかと四郎は振り返っています。

しかし、父親に対抗するのに罰を求めていた、というのはなんだかちぐはぐではないでしょうか?
 
 

二郎の暴力性について

 
幼い頃の四郎はある日、三匹の捨て犬を拾ってきますが、厳しい父である丸雄は犬たちを再度捨ててくるように言い放ちます。

困り果てた四郎のもとへやってきた二郎は「俺が飼ってやる」と言い、犬を預かります。ここだけ見ると頼れる兄貴ですね。
 
 
さて数日後、一度は兄に預けたものの次第に心配になった四郎は、犬たちの行方を二郎に尋ねます。すると彼はこう答えました。
 

「あああの三匹か」と二郎は白々しく思い出したふりをしながら言った。「本当は、あいつらあの後川に捨てたんや」

 
最悪ですね。四郎は悲しみと怒りから兄に殴りかかりますが、二郎は容易く四郎を返り討ちにします。最悪です。
 
 
兄・二郎のこのような暴力性は、どこに起因するのでしょうか。

実を言うと彼は幼少期、父の暴力に怯え、おどおどしていていじめられるような少年でした。
 

二郎はおどおどしていて学校でいじめに遭ったのだが、そもそも二郎がおどおどしていたのは丸雄の暴力のせいだった

 
二郎は幼い頃から茶碗をひっくり返したりガラスを割ってしまったりする小さな失敗が多く、その度に丸雄に怒鳴られていたため、緊張症に陥っていたのです。さらに緊張状態により丸雄の前ではさらに失敗が増えるという悪循環です。

父・丸雄もそんな二郎を理解しようとせず事あるごとに怒鳴り、遂には暴力も振るうようになったのでした。そのため二郎は常に何かに怯えおどおどしていたのです。
 
 
しかし二郎はいじめられたままではありませんでした。小学四年生の始業式から、自分をいじめていた者に対して、暴力による徹底的な(受けた全員が深刻なPTSDを負うほどの)復讐を開始したのです。

幼少から丸雄の暴力性に晒されていた二郎は、心の内にその暴力性を蓄積させていたのではないでしょうか。家庭では丸雄の暴力性に晒され、学校ではいじめを受け続けた二郎は、ついに内なる凶暴性を目覚めさせたのです。
 

二郎が求めていたのは戦利品ではなく危険そのものだった

 
一度その暴力性を覚醒させた二郎は、もはや誰にも止めることはできませんでした。

中学、高校と進むにつれ二郎の暴力性はどんどん増していき、県下最大の問題児として扱われるようになっていました。下の弟・三郎が当時の彼を「移動式地獄」と評したほどです。
 
 
父・丸雄は二郎がなにか問題を起こす度に怒鳴り、殴り倒し、倉に放り込みましたが、二郎は何度でも問題を起こしました。

しかし驚くべきことに、高校生になっても二郎は決して丸雄に手をあげなかったのです。その理由を四郎は次のように考察しています。
 

二郎はおそらく暴力を振るわれるようになってもまだ丸雄のことを求めていたのだ

 
そう、二郎は常に、父親である丸雄の愛情を求めていたのです。
 
 
兄弟がまだ幼い頃、丸雄は二郎の失敗に対し、罵倒や暴力以外の手段として度々無視をするという手段をとりました。いわゆるネグレクトです。

すると二郎は、「ジロちゃんにも構ってや」「ジロちゃんのほう見てや」と泣き叫びました。

二郎はただただ父親に構ってほしかったのです。成長した二郎が罰を求めるのも、悪さをやめないのも、全て丸雄の気を引くためだったのでしょう。

先述の「丸雄に対抗する」とは即ち、構ってくれない父親に対して暴力という形で気を引こうとすることなのです。
 
 

そして失踪へ

 
そして奈津川家は「問題の一九八六年十二月十九日」、運命の日を迎えます。

この日、二郎が失踪してしまうのです。
 
 
いつものように悪さをする二郎に丸雄が激昂、殴りつけたのですが、その度合いはいつもどおりではありませんでした。

四郎が「これはしかしヤバ過ぎるんじゃないのか?」と感じるほどの暴力に加え、「異例の出来事」が起きます。

常に静観を決め込んでいた兄弟の母・陽子が「キレた」のです。
 

あんたが悪いんや二郎! あんたがいるで私らの家はもう無茶苦茶や!

 
このとき二郎は、母親にまで拒絶されてしまったのです。

そして、いつものように倉に放り込まれた二郎はそのまま失踪してしまいます。
丸雄は二郎の失踪を警察に届けず、二郎は奈津川家の中で、完全にいないものとして扱われるようになったのでした。
 
 
物語の終盤、「主婦を殴打し、気を失ったところを生き埋めにする」という一連の事件は、二郎が裏で手を引いていたのだと四郎は確信します。
 
四郎の推理によると、生き埋めにされた主婦たちの腕や膝などは所々が地上に露出しており、それを点字に見立てると、それぞれ「」「」「」「」「」になるといいます。続く文字は当然「」。つまり、「ママ助けて」です。

つまり、二郎は成長した今でも問題を起こして父親の気を引こうとし、同時に、拒絶された母親を求めていたのです。

二郎は、両親の愛を求めながらも、その手段として暴力を選択することしかできないという、矛盾を孕んだ、哀しく、危うい存在なのです。
 
 

父・丸雄について

 

共産主義に対して阿呆な偏見が親父には根強くあるんや。親父の言うことったら本当に単純やからな。

 

ほやけど親父は単純な政治力持ってる

 

簡単なことや。人は誉められたら嬉しいんやからな。親父はそういう単純なことよう知ってるでな。こういう単純なこと知ってる政治家の方が小難しいことたくさん知ってる政治家より受ける。これも親父は知ってる。

 
政治家である丸雄は「単純」さにより票を集め、政治的な力を得ていました。

社会的に成功し、力を得た丸雄は、その「単純」さを家庭にも持ち込んだのです。それこそが不和の始まりでした。
 

丸雄を言葉で諭そうとしても無駄だった。この暴力大魔王は誰かの言った言葉の意味を考えるという能力はそもそも備えておりはせず、ただただ自分の言葉に相手が従うかどうかだけで物事を判断しているのだ。

 
丸雄は「単純」さを家庭に持ち込み、「考える」ことを放棄したのです。

二郎がなぜ悪事を積極的にはたらき、自分を怒らせるのか、その理由を考えることなく、ただただ自分の言うことを聞かないことに怒り、暴力を振るい続けたのでした。

家庭の外では権力を振りかざし、家庭内では暴力に訴える丸雄は、まさに〝〟の権化です。

力がある故に、「考える」必要に迫られることなく生きながらえてしまうのです。
 
 
しかし、丸雄は家族を何とも思っていないわけではありませんでした。

物語の終盤、追い詰められた一連の事件の実行犯が逆上し、包丁を手に奈津川家に乗り込んで来る場面があります。

使用人や丸雄の付き人たちが次々に刺され、丸雄自身も襲撃を受ける直前で、兄弟たちが近くにいると判断した丸雄は叫ぶのです。
 

一郎! 二郎! 三郎! 四郎! 逃げろーっ!

 
この場面を読んで、思わず私は震えました。そうです、彼は確かに「二郎」と言いました。
 
 
丸雄は「欠陥のある人間」ではありましたが、確かに家族を愛していたのです。

何年も前に失踪した二郎も含め、息子たちを皆愛していたのです。

彼は「父親なら当たり前の愛情」を家族「全員に持っていた」のです。
 
 
しかし「単純」さにより考えることを放棄し、暴力性を発揮し続けていたせいで、その愛情は伝わりませんでした。

実際は二郎も、丸雄も、互いを愛していたわけです。このような愛情の相互伝達の失敗こそが全ての不幸の原因だったのでしょう。
 
 

『煙か土か食い物』まとめ

 
本作のテーマはやはり「家族」であると思います。

作中に次のような文があります。

でも結局家族は生きているうちに、そして死んでからも引きつけあうのだ。万有引力と同じくそもそも逃れられない力なのだ。(中略)でも止められないのだ。力を抑え切れないのだ。それが家族のお互いを引きつけあう力だ。家族として発生した以上、とどめようのない力だ。

 
 
人間は集団を作って生活する生き物です。

複数の人間が集まることで、問題もしばしば発生するでしょう。

発端は単純な行き違いでも、深刻な問題にまで発展してしまうこともあるかもしれません。
 
 
しかし生死すら超えて、家族というものは「引きつけあう」といいます。

「引きつけあ」ってしまう「家族」という繋がりの中では特に、互いを知ろうと努力すること、歩み寄ることが必要なのではないでしょうか。
 
 
というわけで『煙か土か食い物』を家族という視点から読んでみた、という記事でした。

ミステリ作品としても非常に面白いので、興味があればぜひぜひ読んでみて下さいね!